参加者 左から:
技術サービス部 次長 平山 秀治(以下、平山) / 取締役 工事部 部長 佐藤 俊馬(以下、佐藤)
取締役 設備本部 副本部長兼統括工事部長 鑓水 孝一(以下、鑓水) / 設計・積算部 主管 平澤 雄樹(以下、平澤)
鑓水:1971年入社ですね。
佐藤:鑓水統括とは1年違いだから1972年。
平山:1994年です。
平沢:山形県産業技術短期大学校を出て2003年入社になります。
鑓水:人生90歳で考えれば、半分くらいだけれど、
そこまで生きるかどうかわからないから、6割〜7割ぐらいかな?
鑓水:便利な機械も無く工期も長く、ゆるやかな時代だった。
図面も全て紙に書いていましたね。
手間は掛かったけれど、和気あいあいでしたね。
職人さんの仕事もなんでもさせられました。
佐藤:現場監督は、まず、3年〜5年後下積み。
職人さんに色々教えてもらいながら何でもやりました。
会社の先輩は日中忙しくて、ほとんど相手をして貰えない。
夕方ようやく時間を取ってもらい、教えてもらったんです。
昔はコンクリートやブロックの建物だったので、
工期は間違いなく長かった。余裕がありましたね。
鑓水:変わらない部分というと、やはり仕事に対しての「想い」
平山:そして、その「想い」を引き継いでいくことですね。
鑓水:お金を出してくださるお客様にとっては、ひとつひとつが大切な仕事。
それを、会社の代表としてさせていただく。
使命感と「自分が1番お客様に満足してもらう仕事をする」という気概で仕事をしてきました。
「他社には負けない」
「他の社員にも負けない」
「良い仕事をしたい」という想いです。
建物が建ってくると、「設計はこうした方が良かったかも知れない」
など、後から出てくる場合がある。
そうならないように、事前に察知し提案し、
最終的には「頼んで良かった」と思われないと意味がないと思います。
平山:初めの2〜3ヶ月は職人さんのお手伝いという感じで派遣されました。
その中で仕事がどういうものかを体感させて頂きました。
その後、諸先輩方と同じで現場監督に配属されました。
10年近く手書きで図面を書いていました。
徐々にCADが導入されるようになり、合わせていくのが大変でした。
「CADが出来れば全てが出来る」という変な勘違いをし始めたのもその頃です。
平山:CADは、もうすこし前に出ていたと思います。
自分がやり始めたのは10年前ぐらいですね。
また慣れないCADを使って建物を建てているうちに「なんでこうなったの?」と言われる事が多々ありました。
昔の自分の考えは、設計図を元に仕事するのが当たり前、それが1番良い方法だと信じていました。
しかしそれは間違いでした。
お客様とコミュニケーションを取りながら、要望をまとめていく事が本当は大切だったのです。
最近ようやく、提案力と技術力を持ってお客様の要望がまとめられるようになったと思います。
平澤:私が入ったころは、みんなにパソコン1台は当たり前。
ほとんどの人がCADを使っていました。
私は、手書きで書いたことがないです。
職人さんの元で勉強したということもなく、
入社してすぐ現場に行かされました。
現場では、実際に働いている職人さんから教えてもらうしかないので、自分から職人さんに行けるかどうかが大切だと思います。
平澤:協力業者さんへ1週間ローテーションで派遣されます。
そこで、顔を覚えてもらうということもありました。
平山:新入社員の時、施工図を具体的にイメージできませんでした。
配管屋さんやダクト屋さんは、パイプを組み立てていくだけという認識しかなかったのです。
しかし施工をさせてもらいながら、配管のサイズは、なぜこのパイプを使わなければならないかなどがわかってきました。
材料については、職人さんのおかげで早く覚えることが出来ました。
鑓水:今の平山君のような考え方もあります。
図面書く場合、どうやって高さを決め、どこから寸法をとれるかを、職人さんのやり方を見て計算しなければならない。
そういうポイントを学ぶ時期が下積みの3〜5年なんです。
そして、スケールの使い方はものすごく上手い下手がある。
佐藤:それは訓練。
嫌がらずに自分で図面書いて覚えるしかありません。
図面を書く段階で、最終的なイメージができれば図面はもっとうまく書ける。
鑓水:そこで生活する人たち、
働く人たちのことを思い浮かべることで、
より具体的なイメージへつながる。
建物を使う人たちへの想いがないと、なかなか良い図面が書けません。
職人さんとの関わり方が、図面を一丁前に書けるようになる方法に通じています。
平澤:元気で、素直な子ですね。
佐藤:沢山の人がかかわり、みんなの考えをまとめ、
お客さまが満足するものを作っていかなければなりません。
現場監督は、マネジメントもしていかなければならない立場です。
いろいろな人間関係の中で、より良いものを求め、良い仕事をしていかなければならないのです。
たとえ職人さんに「馬鹿野郎」と言われてもめげず、
「すいません。教えて下さい」と言いながら笑って済ませる。
コミュニケーション能力は必要ですね。
色んな職種にも苦労はあると思うが、
現場監督は、現場が変われば相手も変わってきます。
仕事も配管からダクト、従量物搬入など色んな職種と関わる。
それをまとめていくのは大変な作業だし、すぐには出来ないのです。
そういう意味では、現場監督には素直さは必要だし、
全体の仕事を覚えるまでは時間もかかる。
だからこそ元気な子はいいね。
鑓水:技術的知識よりもメンタルが強いほうがいいですね。
色んな人の考えを受け止めて、
最終的には自分の考えで現場を進めていかなければならないし、
それを明るい感じで進めていかないと、現場が暗くなってしまう。
鑓水:夢と希望があるうちは、笑顔でいられるだろうけれど、
どこまで前向きでいられるかは、その人次第だからわからない。
挫折や思いもよらないことも出てくるだろうし、
それをどうやって乗り越えていくかは、重要だと思う。
大きなプロジェクトは大きな苦労もあるけれども、
終わった時の喜びは、格別。
それだけ大変な仕事を任されることが、むしろ誇りでもあるんだよね。
大きな仕事はそれなりのレベルがあって、
誰でも同じように仕事が出来るとは限らない。
もちろん、人間関係もプロジェクトの大きさによって高いものになっていく。そこで自分の成長が幸せだと感じられる人かな。
佐藤:大きい建物は確かに魅力だけれども、初めは小さい現場ですら苦労する。でも「終わったな」と思うと、苦労が全部なくなるな。
そうやって自分も成長する。
現場には色んな人がいるし、価値観が違うから、ぶつかるときもあるけれど、「どうやってお客さんに喜んでもらうか」という同じ目的でやっている。
鑓水:現場監督は1〜2ヶ月先を読みながら仕事をしなければならないけれど、
現実的には色んな問題で起こって、パニックになる。
そんなことが何回かあって、本当に嫌になる時もあった。
どんな現場でも同じ様な苦労はあるけれど、
それを乗り越えて少しずつ成長していきます。
だから、最後は嬉しくなるんだね。
そこに、仕事を通しての「生き甲斐」を見つけられると、続くと思います。
平山:現場監督は自分の裁量で仕事が出来る。
それがわかるまでの何年か、我慢の時期なんです。
3〜5年で辞めると、「そういう時期もあるのに、もったいないな」って思いますね。
鑓水:能力さえあれば、自分のやりたいように出来るわけだから。
自由な時間も結構作れるしね。
鑓水:最終的には、うまい酒を飲むために仕事を頑張るしかないですね(笑
本当に素直な気持ちで飲む酒は、気持ちがすっきりして美味いから。
「生き甲斐」はその人の価値観だからね。